東日本大震災以降,原子力損害賠償法に興味あり,同法と東京電力の責任についても検討してみたい。

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■2条「原子力損害」の意味・範囲 「自主」避難者の問題 その4

■2条「原子力損害」の意味・範囲 「自主」避難者の問題 その4


 その1で、述べたところをもう少し考えてみると、


〔自主避難者特有の損害の切り分け〕

 避難者の損害として
---------------------
1 非財産的損害
(1)生命、身体の損害
(2)精神的損害
2 財産的損害
(1)積極損害(財物汚損、避難交通費、宿泊費、生活費増加分なと)
(2)消極損害(休業、失業、廃業等による減収)
---------------------

 ここで自主避難者としては、避難指定等の区域外であるが、多少とも〔年間1ミリ程度?〕汚染ある地域から避難した人を想定する。汚染が全くないのに、危惧して、そこから避難した人は含まないとする。

1 非財産的損害
(1)生命、身体の損害
 自主避難者であると、そこにとどまっている人であるとを問わず、被ばくが原因で健康被害等の損害が発生した場合は、当然賠償の対象となる。

(2)精神的損害
 自主避難者にも、区域内からの避難者と同様に、避難による生活の不便や、いつ戻れるのかという不安など精神的苦痛が発生している。この損害は、避難していない人には生じない。そのかわりに、避難者は、汚染地域で生活することによる健康不安等による精神的損害は避難時点からは免れることができる。
 他方、避難しないで、その汚染地域にとどまって生活している人は、避難による精神的苦痛はないが、汚染地域での生活による健康不安による精神的苦痛が発生している可能性がある。
 結局、精神的損害については、汚染がある限り、自主避難するか否かにかかわらず、一定程度は発生するものといえるだろう。
 そして、その程度は、汚染の程度によって、相違があるだろうから、汚染が大きい地域から小さい地域へ、精神的損害の大きさも漸減すると考える余地があろう。
 そういう意味で、一定の汚染地域については、なんらかの不便や不安を強いているのだから、自主避難するか否かにかかわらず、汚染度に応じた精神的損害の賠償の余地は考えられて当然である。


2 財産的損害
(1)積極損害
①財物汚損
 居住地域の不動産や自動車など財物に、汚染がある場合は、自主避難者も、そこにとどまる人も同様に、減価分ないし除染費用相当額の額の損害は受けているはずで、これは同様である。これも汚染度によって、その大小の差はあろうが、その損害の有無、金額評価は、他の損害に比べて困難ではなかろう。
②避難交通費、宿泊費、生活費増加分等の避難費用
 これは自主避難者に発生する損害であって、その大きさは、汚染度の大きさとは直接関係がない。ただし、避難の判断の合理性については、その汚染度によって、差異があろう。

(2)消極損害(休業、失業、廃業等による減収)
①まず、自主避難者の勤め先が、風評被害等の原発事故と相当因果関係のある損害を被って業績が悪くなり、減給や倒産・廃業に至った場合は、もともと自主避難者が、その場にとどまっていても被ったはずの損害であって、たまたま倒産前に退職して逃げたからといって、その賠償を得られなくなり、その分加害者が得をするというのは公平ではないので、その場合の自主避難者の減収分のうち、もとの企業の廃業等の時点からの分は、当然賠償されるべきものと思われる。
②自ら廃業して自主避難した場合は、まずその廃業の決定が、原発事故と因果関係のある顧客の減少や風評被害などによる減収の場合は、自主避難するか否かにかかわらず、被る損害であるから、廃業決定が合理的なものである限り、当然それによる減収は賠償されるべきものと思われる。要するに、仕事も減ってきて、もうけにもならないので、店をたたみ、そこに住む理由もないので、自分や子供などの健康のことを考えて、指定等区域外の汚染地域から、外に出たような場合である。
③上の①や②のような場合以外で、そこにとどまっていれば、減収、失職等はなかったはずなのに、そこから避難したために、減収、失職等に至った場合は、やはり自主避難者の特有の損害となる。


 結局、自主避難者に特有の問題として考慮すべきは、財産的損害のうち避難交通費、宿泊費、生活費増加分等の避難費用(2(1)②)と、避難が原因で生じた減収分〔そこにとどまっていれば生じなかったであろう減収分〕(2(2)③)であって、これらは避難しない人には発生しない損害である。




〔要件のどこで、どのように問題とするか〕

 第十三回紛争審査会の資料を見ると、紛争審査会は、自主避難者の問題を、風評被害による損害の場合と、パラレルに考えて、避難者の判断の合理性を、因果関係の「相当性」の問題とするかのようである。
 風評被害の場合に、第三者である消費者の回避行動の合理性を問題として、相当因果関係を判断しようとする態度に問題があることは、このあたりで論じた。

 自主避難者の問題では、被害者自身の回避行動の〔一般通常人を基準とした〕合理性を相当因果関係の認定において問題としようとするようである。

 まず、原発事故に関して、この種の問題が、裁判で争われた事案はないようなので、自主避難について、風評被害の理屈と同様に考えて、判断している裁判例はないはずである。

 客観的に汚染が無いのに,疑心暗鬼になって汚染があると思いこんで,回避行動に出た場合なら,個人の主観的な思いこみであって,一般通常人を基準とした合理的判断ではないと言えるかもしれないが、現実に放射性物質が飛散して,汚染がある場合で,しかも,その危険性の認識の程度や,それに対する対処方法や受忍限度について社会的コンセンサスが確立しているわけでもないとき,何が一般通常人にとって合理的といえるのかが判然としない。

 科学的根拠と個人の判断の合理性との関係は以下のようになろう。

1 避難者の判断時において、リスクが客観的〔科学的〕に明かな場合
2 避難者の判断時においては不明であったが、事後的にリスクが明らかになった場合
3 避難者の判断時において不明であり、今もリスクが不明である場合

 1の場合は、問題は少なかろう。科学的根拠に照らして、被害者の判断が合理的なものか否かを判断すればよい。ただし、判断時点での被害者の認識、知識等の主観や、その知識の入手可能性は問題とされる余地はある。
 2の場合は、事後的に危険であったと判明したなら、その避難判断は合理的であったということになる。事後的に安全であると判明した場合は、客観的には不合理であったということなるが、やはり判断時点での被害者の認識、知識等の主観や、その知識の入手可能性は問題とされよう。
 3の場合は、危険性が不明である以上、それを前提に、その時点での限られた情報を基に、どのように判断するのが一般人として合理的かという問題となろうか。汚染度との関係でいえば、汚染度が高い地域の人の避難判断の方が、汚染度が低い地域の人の避難判断よりも、結果において〔将来的に〕、合理的と判断される可能性が高いということにはなろう。

 3の場合でも、外部被ばくについては、低線量被ばくに関し放射線管理で用いられるしきい値無し直線仮説(LNT仮説)を前提に、この程度の低線量被ばくなら直線仮説で考えても、この程度の発ガン率の上昇にとどまると推定して、そのリスクの程度で、避難するのが一般に合理的といえるのかということが問題とされて、避難の合理性が判断される余地が無いでもない。
 ただ内部被ばくについては、健康被害に至る機序の相違から、同様に考えられないかもしれない。もっとも食物を通じて体内に入る放射性物質については、地域の汚染度に関係なく、注意や検査等である程度は低減させることができるかもしれない。ただし、汚染地域に近い方が、基準値以下といえどもある程度汚染された水や食物が出回る危険性は高いだろうから、地域とリクスの結びつきはあろう。また、ほこりや微粒子の飛散などで、空気中に漂う物質については、やはり汚染度が高い地域の方がリスクはより高いだろう。

 結局、これらについて、厳密な科学的なリスク判断が未だできないとなると、その時点での限られた情報を基に、どのように判断するのが一般人として合理的かという問題になるが、科学的なリスク認識について確定的なものがない以上、一般人としては、危険か安全かわからないのなら、できるだけ近寄りたくない、逃げておきたいというのが通常の判断といえなくもない。
 また、仮に自主避難者が少数派だったとしても、そのことから避難判断が一般通常人の判断ではないとすることはできないだろう。気持ちとしては、判断としては、逃げたいが、経済的理由等の現実の避難の困難性を考慮したり、土地のへの愛着から、そこにとどまっている人もいるわけで、避難判断の通常性、合理性と、現実の避難者の有無や数とは関係がない。財産的損害だけの問題なら、将来10万円の損害を出すのがいやで、今1000万円の予防策を講じるというは不合理といえるが、将来自分や子の生命身体に生ずるかもしれない損害を回避するために、今財産的損害を被るというのは、その金額如何で、個人としての判断の合理性が変化するというものではなかろう。なお避難の経済的困難性と、避難判断の合理性を関係づけると、場合によっては、貧困者はとどまるのが合理的、富裕者は避難するのが合理的という結論になる可能性すらある。
 

 他方、危険かどうか分からないので、予防のため逃げるというだけでは避難判断の合理性の立証としては足りず、それを越えて積極的に、その地域で住むことの危険性の有無程度を立証し、それが故に自己の避難判断は通常人を基準として合理的であると主張すべきとなると、立証責任の面では、相当因果関係は原則として被害者が主張立証すべきものなので、結局、居住地域の危険の有無程度をある立証できない限りは、避難判断の合理性は立証できず、したがって、相当因果関係なしとして、立証責任を負う被害者が負けることになる。これでもかまわないという考え方もあろう。


 結局、避難判断の合理性を、〔割合的因果関係を認めない限り〕あるか無いかの判断になる因果関係の側から見ていくと、立証責任で被害者が負けるか、法律的判断としてどこかで線を引いて、その線内なら避難判断は一般通常人として合理的で相当因果関係あり、その外は不合理なものであって相当因果関係無しとして、ばっさり切るということになる。しかし、これほど強くはっきりした効果を持つ線を、今の時点で、紛争審査会が引くことができるのだろうか〔せいぜいICRPの平常時の年間1ミリ基準?〕。
 


 そこで、これを被害者の回避行動の過剰性、損害発生拡大についての被害者の判断の関与の問題として、民法722条2項類推の問題とできないか。

 まず、風評被害では、第三者の回避行動が問題となるので、このような過失相殺やその類推の問題として扱う余地はない。この点は、自主避難者の問題と異なっている。

 過失相殺については、不法行為の場合、当事者の主張の有無にかかわらず、賠償額の判定に際して、職権で斟酌できるので、主張立証責任の厳密な意味での分配はない?

 民法722条2項の「過失」の意義については、不法行為の成立要件となる注意義務違反=709条の「過失」と同義ではなく、公平の観念に基づいて賠償額を減額することが妥当なような不注意で足りるとされる。

 さらに、被害者の過失や落ち度や非難可能性とは関係のない、被害者の素因(通常予想される多様性の範囲を超えた個人の特殊な体質や病気など)についても、公平の理念から民法722条2項類推による減額がありうる。

 危険か安全か不明の場合には、特に、それが人の生命身体等の重要な法益に関するものであるときは、予防的にそれを避けようとするのが合理的判断ともいえるので、回避行動について、被害者を責めるべき理由はないが、かといって、未だ危険性安全性について確定的な判断基準がない場合に、避難によって発生した損害を加害者に現時点で全部賠償させるのは公平ではないという考え方もあろう。
 この点、何年後か何十年後かに、その回避行動が合理的であったと判明したとき、つまり、そこにとどまった人の中に健康被害が出ているような場合や、新たな科学的知見で低線量被ばくの悪影響が立証された場合、自主避難者の行動は、今避難することによって、後の健康被害発生を防いだともいえ、被害者のみならず、加害者にとっても利益をもたらした行動であったとされるかもしれない。他方、何十年経っても健康に対する影響について差異がなく、あるいは、低線量被ばくについて無影響であることが科学的に一般に認められるようなった場合は、今の自主避難は、結果において不合理で、被害者が自らの判断でその損害を発生拡大させたものにすぎず、本来的には賠償を要しなかったものということになろう。
 結局、これがどちらか判明しない時点で、一方にその損害を全部負わせるのは公平でないと判断するなら、汚染度と感受性〔子供、妊婦等〕との組み合わせで、リスクのレベルを階層化して、賠償額か賠償率に差異を設けて、一部賠償していく、その根拠として民法722条2項の類推を考えるという余地があるかもしれない。地域の汚染度高く、また類型的にリスクが高い人の場合は、避難判断の合理性がより高く、そうでもない人は、避難判断の合理性は低いと見て、それを根拠に、素因減額のようなものを考える?。
 要するに、原発事故由来の放射線で、年間1ミリを越えるような地域については、ある程度の危惧が生じるのは当然として、相当因果関係ありとし、ただ、その自主避難行為については、線量や人の類型によって、判断の合理性に「程度」の差があろうから、賠償率、賠償額について差を設ける?。


 もっとも、客観的なリスク判断が容易でないということから、民法722条2項の類推で、中間的解決を図るというのは見たことがない。そもそも、低線量被ばくのリスク判断が困難なのは、被害者の支配下にある事情というよりは、もっぱら加害者が作出した極めて異例な状況〔大規模原発事故による放射性物質の広汎な地域への飛散によって、低線量の被ばくが長期にわたって続く可能性があるという状況〕が持つ特質なのであって、その点を捉えて、加害者側が、避難者の健康等への影響なきこと、あるいは発生するリスクの程度が十分に低いこと〔それにもかかわらず避難者が過剰な反応で避難したという事実〕をある程度立証しない限りは、減額の余地はなく、原則として満額の賠償責任を負うと考える余地もあろう。


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2011-08-08 : ・「自主」避難者の問題 : コメント : 0 : トラックバック : 0
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